さて、台北でも、シドニーで担当する予定だった日本のマンションの販路拡大の業務に当たることとなった。ただ、シドニーとは状況が違い、台北には既に事務所があり、私が行く2年前から先輩社員が一人でビジネスを立ち上げていた。その人が私の上司となった。
この上司との出会いが私のターニングポイントになる。上司は一言で言うとスーパーサラリーマンだった。だが、東京の本社にも沢山いた単なるスーパーサラリーマンではなく、弱い者・目下の者の気持ちを理解するスーパーサラリーマンだった。彼は一人で台湾ビジネスを立ち上げて大成長させた実績だけでなく、とてつもない人脈をも持ち併せた台北ビジネス界の人気者だった。それにも関わらず、私のような経験の浅い部下にも仕事を任せ、部下が失敗した時は自らがその責任を取って部下を守り、その更に上の上司と戦うような人だった。その一方で、事務所の雰囲気を良くする為、自らいじられキャラのポジションを買って出るなど、人間味溢れる人でもあった。事務所は上司と私の日本人2名の他には台湾の現地スタッフが4名いたが、そんな彼の姿を見て、皆、楽しく一生懸命働いていた。
私は、それまで会社の内外で、下に厳しく上に媚びる人や、部下に責任を押し付けて責任回避を図る人、部下を怒鳴り散らしてばかりの人等を多く見てきた為、日本のサラリーマン上司とはそういうもので、組織構造上仕方がないのだろうと思っていた。ところが、台湾の上司に会い、サラリーマンであってもこんな人がいるのかと全く考え方が変わった。私は今でもこの人を尊敬している。ジョンソンのリーダーシップ講義で、「理想のリーダーシップ像を具体的に挙げる」という課題があった時も、この上司の姿をそのまま書いた。
また、台北のスタッフが懸命に働いていたことにも刺激を受けた。私は、副所長のような立場で台北に送り込まれたが、着任当初、知識も熱意も現地スタッフの方がよほど上だった。なぜ、日本の不動産を販売するビジネスで、現地スタッフの方が副所長より熱心で知識もあるのか、非常に恥ずかしく感じた。台北スタッフの熱意が、やる気を取り戻させてくれた。
東京にいた頃は仕事が嫌で嫌でたまらず、逃げ出してばかりの私だったが、台湾の皆のお陰でモチベーションを取り戻し、毎日楽しく職場へ向かい、仕事を前向きに頑張れるようになった。
着任当初は負担が激増した為、受験準備の時間が取れずMBA受験に不利になると思っていた。だが、「MBA受験とは」の回に書いたように、MBA受験には仕事で活躍していることが求められる。台北で仕事に前向きに臨み、苦心しながらも懸命に働いたこと、そしてその結果が徐々に出始めたことで、結果的に後のエッセイやインタビューに自信を持って取り組むことができるようになっていた。それが1年目の受験と2年目の受験に決定的な差を生み出したものと確信している。
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