2015年12月30日水曜日

日本型組織・アメリカ型組織(2)

(写真)Huffington Postより
前回からの続き)日本型組織・アメリカ型組織のどちらにも良い点・悪い点があるし、例外も多々あり、一概に言えないことは重々承知している。ただ、伝統的日本企業を経験し、その後アメリカのビジネススクールで学んでいる者としては、日本企業は全般的にもう少しアメリカ型組織から学べるのではないかと思う。
と言うのも、近年激しい環境変化に対応できていない様子が伺え、その遠因が組織特性にあることが明白だからだ。日本型組織は、特定の課題解決に照準を合わせ過ぎた結果、その前提や課題そのもの――つまり環境――が変化してしまったようなケースに於いてあまりにも脆弱だと感ずる。

“Made in Japan” が高品質の代名詞となっているように、日本企業は製品・サービスの質の高さを武器に戦ってきた。実際、これまでは品質を極限まで高めることで消費者はついてきてくれた。ただ、この勝負は「消費者が均質である」「消費者は品質を軸に購買の意思決定をする」という2つの前提があってこそ成り立つ。消費者自身が変わりつつあり、また軸も多様化している昨今、従前通りの前提の上に立って戦闘力を最大化しても、対応できないのである。


例えば、私の前職である不動産、それも分譲マンション業界では、長く旺盛な内需に依存してきたが、バブル崩壊以降内需に伸びる気配が見られない為、海外に活路を求めようとしていた。デベロッパー各社は品質第一主義の日本の消費者向けに商品開発をしてきた為、商品の品質は極めて優れている。狭いスペースに多種多様な最新機能を盛り込みながらも空間を広く感じさせる技術はもはや芸術の域に達していると言えるし、断熱・防音・耐火・耐震・耐久等の日本で安心して住む為には不可欠の性能に於いても他の追随を許さない。これは不動産業界・建設業界の精鋭達による長年の、マーケティングと研究開発の結晶と言えるだろう。

さて、ここまで品質が高ければ、これを海外の消費者のところにそのまま持って行けば売れる気も大いにしてくると言うものだ。では、現実はどうか。結果は全く逆で、品質をどんなにアピールしても相手にされないのである。海外の顧客は日本人顧客と全く考え方が違う。中国人であれば外見の豪華さや風水に適っているか否かが軸だし、アメリカ人であればバス・トイレが各寝室に付属しているかといった点を重視する。このような顧客からは、如何に優れた品質であるかを説明しても、「あら、凄いわね」の一言で終わってしまう。実際、中国人顧客向けに国内の分譲マンションを販売していた私も、自身のお勧めには目も向けられず、「何でこんな物件を!?」と日本人の観点からはありえない物件を選択されるケースを多々経験した 。戦っているゲームのルールが違うのである。


近年、苦境に立たされている日本企業は、見るからに環境変化への対応に失敗している。シャープ・ソニー・NTTドコモ等の現在の姿は、従来立っていた前提を再考すること無く、そこに留まったまま一点集中で戦闘力を高め続けた結果であると言えるだろう。上記の各社に共通しているのは、かつて特定の商品に於いて圧倒的な成功を収めた点である。言うまでもないが、シャープは液晶、ソニーはCDやウォークマン、ドコモはiモードがそれに当たる。だが、これらの成功体験に引っ張られ 、その後環境変化に対応できず――と言うか、対応することをせず――、結果的に苦戦を強いられるに至っている。これは日露戦争に勝利して以降、大艦巨砲主義を信奉し、戦艦大和や武蔵のような世界のトレンドからかけ離れたものにリソースを投入して敗戦するに至った我が国の過去と重なる。戦後70年も経っているにも関わらず重なって見えるのは、組織の性格が戦前のそれと本質的に変わらないからではないだろうか。

重ねて言うが、日本型組織の特定課題に対する問題解決能力は非常に優れているのである。だが、環境や課題そのものが変わった時への対応力が極めて脆弱だ。だからそのような時の為に、自分達を過信せず、多様な知識や考え方を持つ人の意見に耳を傾けることが大切なのだ。大和も武蔵も、当時の技術水準から考えると、桁外れの性能を持つものだったことに疑問の余地はない。ところが、この史上最強の軍艦も、暗号解読によって敵の作戦を読んで魚雷や戦闘機で攻撃を仕掛けるという、新しいルールのゲームを前にしては手も足も出なかった。ゲームが変化していたことを察知し、それを素直に受け入れて戦略に反映することができる組織であればどれほど違った結果になっていたことだろう


以上を踏まえると、伝統的日本企業の当面の課題は、新しい意見・違った意見に耳を傾け、取り入れることだと思う。これをクリアしながら、日本型組織の戦闘力の高さを維持することができれば、他には真似のできない物凄い組織になるのではないかと思う。この為には、アメリカ型組織に見られるようにバラエティ溢れる人材を集めること――即ちダイバーシティを高める――ことが必須だろう 。もちろん、既に「ダイバーシティ」という言葉は日本でも市民権を得つつあり、日経新聞にも頻繁に出る所謂バズワードにすらなっている。「働きやすい会社ランキング」の指標にもダイバーシティは含まれているし、「ダイバーシティ企業ランキング」なるものも登場して、企業イメージが左右され得ることから、各企業、ダイバーシティの高さのアピールに必死だ。これらのランキングに於いては、女性社員比率や障害者雇用率等がダイバーシティを図る指標とされており、なるほどそれは確かに 一つの目安と言えるだろう。

だが、真にダイバーシティの恩恵を受けることができるのは、先述のアメリカ型組織のように、謙虚に新しい意見・違った意見に耳を傾け、取り入れた時である。それができていないうちは、表面を取り繕ったに過ぎず、ビジネスに有意義な効果が出ることは無いだろう。女性雇用比率を高めても、彼らをビジネスの本流から外していないだろうか。事業を海外展開しても、結局意思決定は日本人駐在員だけで行っていないだろうか。社員を会社に縛り付け、仕事外の活動(勉強・育児・スポーツ等)にリソースを割くことを白い目で見ていないだろうか。社員に必要以上に空気を読むことや一律の思考・行動を取ることを強いていないだろうか。


さて、ちょうど、日本の国会議員が育児休暇を取るが議論を呼んでいる。これもダイバーシティの議論の一種だと思う。任期中に出産・育児を経験しない国会議員が多数を占める一方で、中には経験する人もいる訳である。国会が日本国の縮図なのだとすれば、当たり前の話だ。大いに結構ではないか。今回、そういう人が出てきたのだから、どのようにしたら彼らをサポートできるかを議論し、引き続き正常に国会を運営できる仕組みづくりを行うことこそが建設的と言える。また、議員として育休を取得した人がこれまでいなかったのであれば、尚更それを経験してもらい、復帰後に経験者ならではの意見を発信してもらえれば、より地に足の着いた政策議論・実現が可能になるのではないだろうか。まさにダイバーシティの恩恵と言える。

育休取得反対論の根拠には「国民の税金で食べているのだから休みなど取るべきではない」「周りに迷惑を掛けてはいけない」「国会議員という恵まれた立場にいる人間が休みなど取るべきではない」等が主なものとしてあるようだが、「議員とはこうでなければならず、如何なる事情があっても合わせなければならない」と言っているに等しく、ダイバーシティを根本的に否定する意見でしかない。本当にそれで良いのだろうか。(無いとは思うが)もしこんな意見が通るようであれば、我々はいつまで経っても大和・武蔵を生み出し続けることになるだろう。

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