キャンパスビジットを終えて台北に戻った私を待っていたのは上海への異動のお知らせだった。上海の所長と副所長の帰国に伴い、私が上海の所長になるのだという。ただ、台北の上司が台北と上海の「大所長」的なポジションに就くので、引き続き彼に相談しながら物事を進めて行けば良いとのことだった。数ある業界の中でもドメスティックさでは他の追随を許さない不動産業界に勤務していながら、
まさかわずか半年の間に東京→シドニー(転勤前にキャンセル)→台北→上海と、海外転勤のオンパレードになるなど夢にも思わなかった。
台北の上司に相談しながら仕事を進めていけば良いとは言え、これまでのようにリアルタイムで相談していくことはできないだろうし、業務量もより増えるに違いない。受験との両立が可能なのか不安を抱えながら、住み慣れた台北を発った。
上海では、前任の所長達がマンション営業を行う為の現地法人設立を終えたところで引き継ぎとなった為、営業活動および事務所運営を軌道に乗せるのが私の役割だった。
中国では基本的に全てがイレギュラーだった。マニュアルが存在しない状態で着任したし、法治社会では無く人治社会であるが故に、昨日OKだったことが今日はダメというようなケースのオンパレードだった。また、何をするにも手続きが煩雑で時間がかかる。例えば会社のウェブサイトをオープンするにも、諸々の認可が必要で4〜5ヶ月を要した。また、業務を外部業者に委託しようにも、間違ったままが上がってくることがザラにあったので、良くチェックを入れないといけない。例えばスタッフの給与計算が間違っており、スタッフ本人の指摘で明らかになるようなことすらあった。
受験準備然り、私は計画的に物事を進めることは苦手な一方、このようなイレギュラーへの対応は結構得意なので、これはこれで非常に面白かった。営業・総務・人事・システム等、ありとあらゆる面を自分でやらなければならなかった為、スタートアップを経験しているような気分で大変充実していた。ただ、いかんせん時間が掛かるので、受験準備との両立が大変だった。毎晩11時位にオフィスを出て、帰り道にラーメン屋に立ち寄り、帰宅して数時間エッセイやGMAT勉強と格闘、というような日々が続いた。
上海事務所には私が従事していた営業部門ではなく、中国での不動産開発を調査する開発部門の先輩社員が駐在していた。彼は、中国に駐在してから独学にも関わらずわずか半年で中国語をマスターし、毎晩地場のデベロッパーと飲みに行って情報収集をし、休日は地元の中国人の友人達とピクニックやサバイバルゲームに行くというようなとんでもないグローバル人材だった。先輩は中国社会にドップリと精通していた為、色々な相談に乗ってくれ、助け舟を出してくれた。もっとも、受験については秘密裏に行っていた為、明確な理由を告げずに諸々のお誘いを断ったり、「お前は地元にまだ馴染めていない。休日を使ってもっと上海に浸かれ」等の助言をスルーしたりと、何とも失礼な態度を取る結果となった。せっかくの海外駐在なので本当は彼の言う通りもっと上海に浸かって、中国語を習得し、様々な経験をしたかったのだが、受験でどうしてもそれができず、残念に感じた。
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