2019年1月8日火曜日

平成の終わりにスポーツビジネスを考える: ②マネジメント

出典:山田書店

②マネジメント

強化と対照的に圧倒的に時代にも世界にも取り残されたのが、スポーツ組織のマネジメント(と言うかガバナンス)だ。

特に、日大アメフト部・ボクシング協会・相撲協会の醜聞のオンパレードで日本のスポーツ界が平成も終わろうとしているのに未だ昭和一桁台な状態にあることが露呈してしまった。

ただ、私は個人的にこの点はあまり悲観していない。醜聞が話題になるのはそれが世に問題だと思われているからであって、問題視されることなくスルーされるよりよほどマシだと思っている。

醜聞で炎上した組織の人は「前はこんなことは問題にならなかった」等と嘆いていた訳だが、それは多分その通りで世の中が以前は容認していたのだろう。確かに、先輩からのシゴキなどは体育会では当たり前で、例えばスキージャンプ競技では、遠征先のホテルで、某超有名選手が先輩に全裸にされて手足を縛られたままエレベーターに放り込まれて他の客に見つかる様子を先輩たちが笑って見ていた、という話をその先輩が楽しげに語っていた。

しかし、世は変わった訳でハラスメントや危険行為等に対して相当風当たりが強くなり、それに合わせてスポーツ側も変わることが求められている。変わることができないスポーツやその組織には選手は集まらなくなる。他にいくらでも選択肢があるからだ。また、観客も醜聞ばかりのスポーツには愛想を尽かすだろう。そして、醜聞があるスポーツはレピュテーションリスクが高いので、スポンサーも集まらなくなる。すると、結局変われないスポーツやその組織は淘汰されて、健全な組織のみが生き残ることになる。

さて、「パワハラと強化は表裏一体」のような論調も依然根強い。「トレーニングに耐えるためにも鉄拳(あるいは口頭での)制裁は必要だ」というわけだ。しかし、「パワハラをしたら強くなる」と言うのはあまりにも乱暴で、強い相関があるとは思えない。もし、仮にそれが正しかったとしても、パワハラを続けることで選手も観客もスポンサーも集まらなくなったら、強化もへったくれも無いのだ。

故に、状況は早かれ遅かれ改善するだろう。

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