ミラノ・コルティナ冬季五輪が始まり、早速世は五輪報道一色となった。だが、オリンピックというものはなぜここまで人々を惹き付けるのだろうか。「感動するからだ」というのが端的な答えにはなろうが、では、我々は一体オリンピックの何にそこまで感動を覚えるのだろうか。
私自身、中学1年生のときにみた長野オリンピックのスキージャンプ競技・日本代表「日の丸飛行隊」、中でもジャンプ団体戦で金メダルを獲得した原田雅彦選手 (当時。現・全日本スキー連盟会長) の活躍に頭をハンマーで殴られるほどの感動を覚えた。そして、その後大学入学後、一橋にまで入ったのに何でそんな危険でリスキーなことをするのかと両親に猛反対されながらもスキー部でジャンプを始め、さらにその後ジャンプ競技をはじめスポーツ界の役に立てることはないかと、スポーツビジネス領域にキャリアを進めたので、オリンピックの影響を最も強く受けたファンの一人だという自負がある。オリンピックというものは、一個人の人生を左右するほどのかくも強烈な感動を呼び起こすのである。
さて、私が強く影響された原田雅彦氏だが、ジャンプ界の歴史に名を残した選手であることは間違いないのだが、長野五輪の前の1994年リレハンメル五輪では団体戦最終ジャンパーとして大失速しほぼ確定的だった金メダルを失った。そして、引退前最後の2006年トリノ五輪では体重200g不足で規定により失格となった (ただ、これは本人だけの責任ではなくチームとして対処すべきであったことは付言しておく) 。大変失礼ながら、正直に申し上げて、決して完全無欠のカッコいいアスリートではなかった。
それだけではない。引退後はTVのジャンプ中継で解説を頻繁に担っておられるが、優しい性格ゆえか「飛距離は出ませんでしたが良いジャンプをしています」「タイミングは良かったのですが、ちょっと力んじゃいましたかね」「まだまだこれから期待ですよ」といったような曖昧な解説に終始していて率直な指摘が無い。ジャンプという競技は、アプローチ→踏切→滑空→着地と、動作があまりにもシンプルでありながらその一連の動きが一瞬であることから、視聴者自身が飛距離や飛型点の違いが生まれる理由を見出すのは極めて困難である。だからこそ、競技経験のある解説者の言葉が意味を持ってくるのだが、原田氏の場合はそこをオブラートに包んでしまうので、ジャンプファンの間からもXなどのSNSで不満の声が挙がっている。私もまったく同感で、もっと鋭くはっきりとした解説をおこなってほしいと切に願っている。このように、原田氏は完全無欠系のレジェンドではなく、何だかおっちょこちょいで抜けている選手であったし解説者なのだ (そして今や全日本スキー連盟の会長である)。では、なぜそんな原田氏に私は人生が変わるほどに心を動かされたのだろうか。
それは、逆説的だが、原田氏が完全無欠どころか、私自身と同様に弱点でいっぱいだったからだ。そして、その弱い自分にオリンピックという極限の舞台で打ち克ったからである。
長野オリンピックの団体戦、史上最強のメンバーを揃えた日本は金メダルの筆頭候補だった。ところが、1本目、原田選手がK点120mの白馬のラージヒルで79.5mのジャンプに終わり、一気に暗雲が立ち込める。原田選手の1本目の際は猛烈な悪天候だったので誰が飛んでも似たような結果になったかもしれない。だが、原田選手にとってみれば、前回・リレハンメル五輪団体戦の時と同様に自分がチームの足を引っ張っていると、眼の前が真っ暗になったことは間違いないだろう。原田選手が偉大だったのは、そこで腐ること無く、団体戦の2本目のジャンプで自分の弱さに真っ向から挑んでいったことだ。「複雑骨折してもいい」と覚悟を決めて臨んだ2本目、吹き上げる向かい風で揚力を得、ここ一番で137mの大ジャンプ。緊張から解放された原田選手は嗚咽が止まらなくなり、NHK (当時) の有働由美子アナウンサーから問いかけられてもまともに回答もできない状況になってしまった。その姿が大きな話題と感動を呼んだ。
記録を見る限り、また当日の試合の様子を見る限りでは、明らかに原田選手よりも、日頃と変わらずクールに抜け目ないパフォーマンスを見せた岡部孝信選手・斎藤浩哉選手・船木和喜選手の貢献度のほうが高かった。それでも原田選手が私の印象に強く残ったのは、何度も失敗を繰り返しながらも、最後の最後に弱い自分に打ち克ったからに他ならない。なお、原田選手の団体戦2本目のジャンプは、私は四半世紀が経った今でも、映像はもちろん実況・場内アナウンスやBGM、はたまたアプローチや踏み切りで雪を切り裂く音等々の音声も、脳内で完全にリプレイできる。それほどに強烈な記憶なのだ。
さて、同様に、我が国の人々の間で大変な感動を呼び起こしたオリンピックの出来事の一つが、2014年ソチオリンピックの浅田真央選手のパフォーマンスではなかろうか。ジュニアの頃から史上最強選手として数々の記録を打ち立てながらも、オリンピックのここぞというときに自分で納得のいく結果がついてこない。キャリアの集大成と位置づけたソチでも、先立つ個人ショートプログラムで思った演技ができずに16位となり金メダルは絶望的。しかし、そこで投げうつことなく、フリーに臨んで完璧な演技を完遂し、演技後、嗚咽が止まらなくなった。浅田選手もまた最後の最後に自分に勝ったのだ。
原田選手と浅田選手の例を通じてわかるのは、我々がオリンピックを見て心を動かされるのは、必ずしも完全無欠なスター選手が圧倒的な強さを見せつけるからではない。究極的にはメダルを獲る・獲らないも順位が何位であるかもあまり関係ない。我々と同様に弱さを抱えた選手たちが、もがき苦しみながらも極限状態で自らの弱さに挑み、そして打ち克つ姿を見せてくれるからではないかと思うのだ。
さて、今大会、私が強く注目し応援しているのは、女子ジャンプの髙梨沙羅選手だ。女子ジャンプワールドカップが立ち上がった2011-12年シーズンから一貫して世界のトップで大活躍し、ワールドカップ勝利数歴代最多を誇る、競技の歴史であり生き字引のような存在ながら、オリンピックでは調子に恵まれなかった (それでも一般的には凄い成績を挙げている)。大会の度に落ち込む様子は見ている一ファンとしてですら沈痛な気分になった。今回のミラノ・コルティナ大会では、ぜひ自分に打ち克って笑顔を見せてほしいと思う。成績が出ればそれはそれで素晴らしいが、成績が全てではない。10代の頃からずっと頑張ってきた高梨選手を、地球の反対側のオーストラリアから応援している。

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